大学を休学してドイツにてオペアを経験





萩原華穂さん

私は小学生の頃に父の仕事の都合で3年ほどドイツに住んでいました。しかし、日本人学校に通って いた為、ドイツ語を話す機会もめったになく、そのまま日本へ帰国してしまいました。

そして大学に入学してから第2外国語でドイツ語を履修し、帰国子女であるにも関わらず、話すことの できない悔しさから、ドイツ語を修得したいという思いが日に日に強まっていきました。「どうにかして 長期留学がしたい。でもお金が・・・。」

そんな時、ドイツ語の授業中に先生がオペアという制度について紹介してくださいました。 「子供は好きだし、お金はかからないし・・・これだ!」直感でそう感じた私は、さっそくインターネットで 検索し、ファミリーを探し始めました。

やはり1度住んでいた経験があることから、ファミリーの方から連絡を頂くことも多くありましたが、 私の場合、「学校に毎日通いたい。」という欲張りな条件を持っていたので、なかなか条件に合う ファミリーに辿り着くのは困難でした。

また、インターネットでのオペアに関するページで、「前もって住むところに関しての質問や仕事の条件はしっかりと聞いていた方が良い。」という情報を得ていたため、連絡を取った家族には、細かいところまで質問しました。“部屋、バスルーム、トイレは自分専用のものがあるか”、“町までの交通費は出してくれるのか”、“家事はどの程度しなければならないのか”、“子供たちは何が好きなのか”など・・・。そうして条件が合う、ようやく見つかった現在のファミリーに迷いはなく、大学を休学しての渡独を決意しました。

私がお世話をしているのは4歳の女の子と、5歳の男の子です。パパは警察官、ママは キャリアウーマンで、毎週のように飛行機で色々なところへ出張にでかけます。

「これだけ慎重に準備してきたのだからきっと大丈夫だ。」という甘い自信を持ってドイツに来た私は、 オペア生活が始まってからの最初の約2ヶ月間は特に、本当に苦労しました。

両親が早朝から仕事で家を空けている時の私の日常は、“6時半に起床、子供を起こして着替え、 朝食を与えてから幼稚園へ連れて行き、9時から1時までドイツ語の授業、2時に幼稚園へ迎えに行き、 8時まで子供と遊び、その後ようやく宿題をするなどの自分の時間、就寝”といった感じでした。 日本の大学生活で、自分のことだけやっていればいいという私の生活はがらりと変わり、 覚悟はしていたものの、この生活習慣に慣れるまでも時間を有しました。

しかし、1番苦労したことは生活習慣ではなく、やはりファミリーとのやり取りです。パパは食事のマナー、部屋の片付けなど、しつけには本当に厳しい方である反面、ママはとても子供たちに優しく、特に上の男の子は、ママがいるとかまってほしいがあまり、すごく泣き虫になります。 また、両親がいないとなると、急に人が変わったようにやんちゃになり、例えばキッチンからナイフを持ち出して遊ぶなど、普段できない危険なことをしたがりました。下の女の子は、ワガママを言いながら泣きわめき、怒られると私やお兄ちゃんに八つ当たり…。よく物を投げ、何でもお兄ちゃんがしていることを真似したいので、両親がいない時には危険なことを一緒になってします。

一緒に遊んでいる分だけ、毎日毎日、喧嘩も耐えません。まだ子供の要求していることすら、うまく聞き取ることのできなかった最初の頃の私は、上手に怒ることなんて到底できず、途方に暮れていました。 ママに相談した際、いくつか怒り方を教えてもらったりもしましたが、私が言っても子供は全く聞きません。 しかし、もし怪我でもすると、それは全て傍で見ていた私の責任になってしまうので、なんとか止めようと必死でした。

ある時には、パパが帰って来た時に部屋の片付けが出来ておらず、「子供に言うことを聞かせられないなら、うちのオペアとしてはやっていけない。他の家族を探した方がいいんじゃないか。」と言われたことがありました。パパも仕事でストレスが溜まっているとは言っていましたが、その時はさすがにショックで、真夜中である日本へ、両親に泣いて電話をしてしまったこともありました。そんな時、生活をファミリーに養ってもらい、お小遣いももらうオペアと、自らがお金を支払う顧客側であるホームステイの違いを大きく感じました。私は、オペアといえど、「仕事」と呼べると思います。

「これも自分が決めた道!」そう割り切り、不満も押し殺して生活していた私でしたが、週末も仕事を頼まれ、規定である週30時間の労働時間を大幅に上回っている週が多かったことをきっかけに、今まで思っていたことを言ってみようと決意しました。「最初は思っていることを伝えるだけのドイツ語力も勇気もなかったけど、今なら、なんとか・・・!」と3ヶ月経った頃、思い切ってパパに思いをぶつけてみました。私が不満を言ったことに、とても驚いているようでしたが、次の週からはスケジュール表を作ってくれ、規定を守ってくれるようになりました。その日を境に子供たちにも私の言うことを聞くように言い聞かせてくれたり、家族との関係が随分やりやすくなったように感じます。

今思い返せば、日本人である私は、思っていることを口にする勇気が足りず、いつも笑顔で頼まれることに「はい。」とばかり答えていたので、勘違いを生んでしまっていたのだと思います。オペアとしての海外生活の中で、家族と相互理解し合う為には、恐れずに正直に思いを伝えることが本当に大切だということを学びました。

上記までは苦労したことを偽りなく書かせて頂きましたが、何もオペア生活は辛いことだけではありません。苦労の中には、同じように楽しいことや嬉しいことがあり、成果が得られます。いつからか子供たちはとても懐いてくれるようになり、私が出かけようとすると靴を盗んで走り回ったり、男の子は「大きくなったら僕が君のうちにオペアにいくね。」と言ってくれたり、女の子は「はい、プレゼントあげる。」といって大好きなはずのチョコレートを渡してくれたり、落ち込んでいる時に「どうしたの?」と心配してくれたり、子供好きな私は、そんな些細な子供たちの言葉や行動が可愛くて嬉しくて仕方ありませんでした。また、毎日ドイツ語で会話しているだけあって、当然、ドイツ語で話すことへの違和感や抵抗がなくなるまでに、さほど時間はかかりませんでした。両親も忙しいながらに私の為に、大きな誕生日会を開いてくれたり、ドイツの文化を色々紹介しようと、クリスマスには私の部屋にも飾りつけをたくさんしてくれ、カーニバルのパーティに連れていってもらったりしました。 そんな時、家族の一員だと認められていることを実感し、とても嬉しかったです。

私は今しか経験することの出来ない、このオペアという制度で留学をして、本当に良かったと思います。もちろん苦労はたくさんしましたが、その苦労によって今までの甘かった自分を見つめ直すことができ、充実した日々を送れていることに、とても感謝しています。社会人として働く前に、オペアという“いち仕事”の経験を通して、たくさんのことを学び、得ることができました。

日本へ帰っての残りの大学生活をどのように過ごすかも、この経験の有無によって、大きく違うものになるのではないかと今から感じています。

最後に、これからオペアをしようか迷っている方、迷わずにぜひ挑戦してみてください。

皆さんのこれからのオペア生活に、私のこの体験談が少しでも役に立ち、よりよいオペア生活を送って頂ければ嬉しいです。

ここまで長い体験談を読んで頂き、本当にありがとうございました。






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