2007年8月から1年間オーストリアでオペアを経験





大内 志保さん

私は、2007年8月から1年間、墺独家庭で1歳と3歳の男の子のお世話をしました。

■オペアのきっかけ
中学生の時に文通していた友達がオーストリアに住んでいて、オーストリアが大好きになりました。いつかオーストリアの田舎に住んでみたい、というのがこの頃からの夢でした。大学を卒業して一般企業に勤め、漠然とお金を貯めて留学?なんていうことも考えていましたが、なかなかお金は貯まらなないし、一番の目的が語学を学ぶことではなくて、住むことだったので留学はなんだか違うかな?と思っていた時に、mixiでオペアのことを知り、しかもオーストリアは28歳の誕生日前まで、ということだったので、これしかない!!!と思いすぐにネットで家族を探し始めました。

自分の好きな合唱団がチロルを中心に活動していたこともあり、そこで暮らすということにも憧れがありました。教会に通って好きな音楽をたくさん聞く!なんて思ったりもしていたので、チロルにいる家族を探していました。ちょうど1つ目のファミリーにメールを送って返事を待っている時に、今回滞在した家族から「チロルではないけど、チロルに似ていていいところだよー。」とメールをもらいました。

■ホストファミリーの決め手について
1.場所 ハイジのようなアルプスの山々に囲まれた田舎に住んでみたい
→まさに、山の向こう側はスイス・ハイジの里、という山岳リゾート。しかも、そんな田舎でありながら仕事で車の運転をする必要がありませんでした。

2.両親共にアメリカでのオペア経験がある。
→経験があると何事も理解しやすいのではないかという思いがありました。

3.私が滞在した近くの中心の村は日本の都市と姉妹都市関係を結んでおり、親日家が多い。ホストファザーもこの関係で一度日本に来ている。
→やはり自分の国について理解があると過ごしやすいのではないかと・・・ちなみにホストマザーは日本語のコースを受講したことがありました。

4.自分が初めてのオペア
これは比べられたくないから、だったのですが振り返ってみて良くもあり、悪くもあり。お互い手探りな感じの1年でした。

■オペアで大変だったこと、学んだこと
他人の子どものお世話をするということは、常に安全にも気を配らないといけず想像以上に大変でしたが、私の場合それよりも家族との関係で気まずい思いをしたことが印象に残っています。私がオペア生活を通して学んだのはコミュニケーションの大切さです。

オペアを終えて一番に思ったこと、それは他人と家族の一員として1年間一緒に暮らすというのは大変だ、ということです。最後の最後まで、居間でリラックスしてTVを見たり、自分の家でしているのと同じようにはできませんでした。居間に行くこと=仕事というような感覚があったのと、私なりに家族に気を遣ってしまっていたのだと思います。

私は家族には本当に恵まれてしました。はっきりとそう断言できます。それでも、色々ありました。

最初の半年はお互い気を遣っていて良かったんです。でも、半年過ぎた辺りから、気が緩みだしたのか、何かが狂い始めました。それまでに積もり積もった小さな事からホストマザーを怒らせたこともあります。
ホストマザーは普段大人しく穏やかな感じの人だったので、突然部屋に入ってきて怒り出したときは、何が起こったのかよく分かりませんでした。しかもドイツ語で早口でまくし立てられたので尚更です。そうじの仕方から、オムツを換えるタイミングなどなど・・・あの時、ああだったこうだったと、私としては、なんでもっと早く言ってくれなかったの?ということもたくさん言われました。
何より、一番悲しかったのは、本当はこの家族が好きではないのではないか?子どもたちのことも嫌いなのでは?と言われたこと。半年過ぎて休みの日は必ず出掛けるようになり家に居る時間が減っていったのも原因と思いますがそれは、家族のことが嫌いになったからではなかったのに、そう思われてしまったようです。 さらに、極めつけはどうしてオペアになろうと思ったの?とまで言われたことです。子どもたちのことは大好きでしたし、嫌いだなんて心にもないことを言われてとにかく落ち込みました。その時、思うことをうまくドイツ語で言い返せず、言われっぱなしだったのも悔しかったです。 ただ、そう思わせてしまったのは自分。半年過ぎて語学学校が終わってから、それまで両親とは英語で会話していたのですが、ドイツ語に切り替えたこともあり、思うように話せず、ちょっと思ったことでもま、いいかーという感じで会話がすぐに終わってしまうことも多く、コミュニケーションが減っていったのも確かです。 また、田舎だったこともあり、いろんな人に自分の話が知れ渡っていくのもいやで話さないようになっていたりもしました。最初の半年は友達もいなくて家にいることも多く、どこかに出かけたら?と心配されていたくらいですが、半年過ぎて休日家にいることがなくなったら、いなくなったで心配されるしで・・・後から助けてほしいときにあなたはいないというようなことも言われました・・・。子どもと過ごす時間が長いと、自分の時間は1人で過ごしたいと思うようにもなりましたし、休日は家から出たいという気持ちも正直ありました。さらに、自由時間や休みの日に何をしたの?と必ず聞いてくるので、何かしないといけないのか?という強迫観念にとらわれたり、一種の束縛感もありました。

後から思うことは、こういうのもコミュニケーションのうちだったこと、こういう小さなことからコミュニケーションをとっていくことの大切さを感じました。

オペアに限らず、何にでも言えることだと思いますが、コミュニケーションが大切です。家族と、とくにママとは小さなことでもよく話すこと、子どものことはもちろん、日常のちょっとしたことなどを話すのも大事です。

問題が起きてからは、仕事後も居間にいるようにして子どもたちと遊んだり、何か手伝うことはあるか聞いてから出かけたり、仕事中も、言われたこと以外にも洗濯して全て乾かしてたたんでしまったり、そうじしたり・・・とにかく誠意を持って接することを心がけました。その結果、来たときより家事もうまくなったねとほめられるまでになったし最後に贈り物としてもらった本に「あなたはいつも家族の一員になろうと努力していた。素晴らしい仕事をしてくれたね!」と書かれていたのを読んだ時、1年間頑張って良かったと心の底から思いました。

過ぎてみて振り返ると、思い出すのは子どもたちとのかけがえのない時間、ホストマザーともめたことも含めて、とても貴重な経験ができて、私のことを受け入れてくれたファミリーに心から感謝しています。ちなみにホストマザーにはその後「あなただけの問題ではなく、私のやりかたも悪かったわ」と謝ってくれました。

オペアから数年経った今でもホストファミリーには、私をオペアとして雇って良かったと言われることがあり、最後まであきらめずに頑張って良かったと心から思います。

オペアをしている最中や終わった後すぐは、正直に言うともうオペアなんて無理だ!と思っていたこともあります。でも、何より1年一緒に過ごしていると子どもたちも相当懐いてくれますし、ただたまに会うだけのお姉さんとはまた違った意味で色々なことを共有できるので、自分の子どものように可愛く思えてきます。これらのことを思うと、またオペアをやってもいいかなという気持ちが沸いてきます。






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