アメリカAu Pair体験談 2023年5月渡米 林さんVol.8

アメリカより体験談が届きました!
アメリカAu Pair体験談 2023年5月渡米 林さんVol.8

ココナッツマスク

Vol.1はこちら
https://www.worldaupairinjapan.net/wp/?p=2269

Vol.2はこちら
https://www.worldaupairinjapan.net/wp/?p=2279

Vol.3はこちら
https://www.worldaupairinjapan.net/?p=2328

Vol.4はこちら
https://www.worldaupairinjapan.net/?p=2366

Vol.5はこちら
https://www.worldaupairinjapan.net/?p=2538

Vol.6はこちら
https://www.worldaupairinjapan.net/?p=2602

Vol.7はこちら
https://www.worldaupairinjapan.net/?p=2734

 

皆様、明けましておめでとうございます。
2024年も良い年でありますように!
さて、11月に続き、クリスマスそして、年末年始についてお話しします。

オペアクラスルームin プエルトリコ4日目は、
プエルトリカンの先住民タイノ族がいた場所Loíza(ルイーザ)へ行きました。 タイノ族がどういう暮らしをしていたか、伝統的なアーティスト(Samuel Lind)のスタジオに行ってアートを楽しんできました。

その後は、待ちに待った”ボンバダンス”!
私は赤と白のギンガムチェックの水着を着ていたので、白のドレスを選びました!
ボンバダンスは日本の舞踊と違って、リズミカルで激しいダンスです。
腰や腕をたくさん振ったり、サイドステップやクルクル回ったりして踊ります。
みんなで一つの円になり一通り練習した後は、音楽に合わせながら一人一人円の中に出てきてダンスを披露しました。私もオリジナルの振り付けを頭の中で考えていましたが、本番になると緊張してあまり上手に踊れませんでした(笑)でも、楽しかった!!!

実は、今朝から胃の調子が悪くボンバダンスに参加できないかもしれないという大好きな友達がいました。
朝のスペイン語クラスの時から薬を飲んだり病院へ行ってコロナやインフルエンザの検査をしたり大変そうでした。みんなと一緒に参加できるのをとても楽しみにしていたので、ショックと怒りで号泣しているのを見てただ見守る事しかできなかった(感染症の恐れがあるので)自分も悲しかったです。
ただ、そのダンスクラスまでに少しでも回復しますようにと祈るばかりでした。

私も数日間食べっぱなしのせいもあり胃もたれで胃がムカムカしていたのですが、太田胃酸(皆さん、必ず渡米前に用意しましょう!!)が役に立った。
スペイン語クラスが終わって、バスが出発する頃に彼女が戻ってきました!!まだ全回復ではないようでしたが、少し顔色も良くなりボンバダンスを一緒に参加する事ができました(みんなで泣いた( ; ; ))結局、食べ過ぎが原因だったようです!

ボンバダンスの後は、伝統的な”ココナッツマスク”のプレゼンテーションがありました。伝統職人が実際に複数のココナッツマスクを持参して下さり、どういう意味合いがあるのか、どういう時に飾るのかを教えて下さいました。
ココナッツマスクには3本の取り外しができる細長いカーブしたツノがあり、カーブが外向き時では悪避けの効果があるそうです。
私も実際に付けてみたので写真を見てみて下さい!

ボンバダンス!私はどーこだ?(^^)

そして、4日目のクラスが終わりましたが、これからが本番です!
クラスが始まる前に、プラスで有料のアクティビティーを希望するかどうかのアンケートがあり$80で少し高いなと思いつつ、一生に1度の経験だと決め、早速応募しました。
内容は、”夜のカヤック〜輝く湖と空〜”です(笑)
そのココナッツマスク会場から車で1時間半程にあるビーチに着き、希望した人達と一緒に2人1組になって夜のカヤックをしました。
初めてのカヤックだったので、中々上手く漕ぐことができませんでしたが、何とか目的地まで到着(汗)そして、カヤックを引っ張り輝く湖の中へ。
空と湖の境目がわからないほど真っ暗な景色で、星がキラキラと輝いていました。

湖の半分まで漕いで行くと、カヤックやパドルに触れて刺激された沢山の目に見えないプランクトンが青白く光りました。とても神秘的で謎めいていました!あたりが真っ暗で行き先がわからないという事もあり、パッと気が戻るとゾワゾワっとちょっと怖かったです(笑)いや〜、行って良かった!!!
そして、2時間かけてホステルへ戻ってきました。
22:30頃でしたが、みんなお腹ペコペコだったので最後の晩餐会を開く事に!
ホステルの近くになんちゃってアジアンフュージョンレストランがありそこへ行く事に。
ですが、メニューの値段をみてみんな愕然!いつものアメリカン寿司だと$20以下で食べられる事がほとんどですが、このレストランは$20超えていました…!高すぎる(泣)

ブラジル人の友達は「ゆい、この寿司(アメリカン寿司)はどんな寿司なの?」ときいてきましたが、「これは日本の寿司じゃないから私もわからない(笑)」とみんなで大爆笑。他のクラスメイトはナイトクラブへ行ったそうですが、行きたかったけどそんな体力ないよ〜!
そして、ホステルへ戻り大爆睡。

5日目の最終日は、ISLAという語学学校で最後のスペイン語クラスでした。私はビギナークラスでしたが、デュオリンゴという言語学習アプリで1年前からスペイン語を少しずつ勉強していたのである程度理解できました。

テストや課題はなく、みんなで和気藹々と学ぶ形式だったので、楽しかったですが全くの初心者ならついていけなくて楽しめなかったかもしれません…
そんなこんなで、無事に全日程が終わり仲良くなったクラスメイトとお別れ…出会いがあれば別れもあるって辛いですね(泣)
でも、一緒に困難も乗り越えて世界中から集まったオペア友達がアメリカ各地にいるって素晴らしい事ですよね。

プエルトリコアーティストがドラムを演奏してくれたよ!

無事にピッツバーグへ戻ってきて安心かと思いきや、事後学習が待っていました…!3点あり、スペイン語の課題(ビギナーはスペイン語の簡単なテスト、中級と上級はスペイン語で簡単な論文や作文)、リフレクション(感想文のような物)とリサーチペーパー(研究論文)でした。
リサーチペーパー以外はトントン拍子で終わったのですが、リサーチペーパーは英語でかつ米式書く必要があるのでそもそも構成をどうやって書くのかから調べて取り組みました。
幸いな事に、アメリカの教育を受けた日本人の友達がいたのでどうやって資料集めをするか、構成や考察をはタイトルとマッチしているかと少し指導を頂きました。
うぅ、、ありがたい!研究内容は「タイノ族からプエルトリカンへ」にしました。

プエルトリコ柄のベンチで

ピッツバーグには大きな図書館がたくさんあり、私が調べたかったタイノ族についての本もいくつかあったのでリサーチペーパーに役立ちました。締切日が12/31までだったので、休みの日や仕事終わりにカフェに篭って何とか年末前にやり遂げました!!
10月頃からオンラインのスペイン語も無事に完了し、みんなでメキシカンレストランで食事をしました。スペイン語でオーダーするのは少し緊張しましたが、楽しかったですよー!証明書も受け取りみんなでピース!!また一つ自信がつきました!!

次は、クリスマスについてです。
単刀直入に感想を述べるととても悲しいクリスマス(12月)でした。なぜなら、このファミリーはクリスマスっぽい事をしなかったり、ディナーが残念だったのと、私へのクリスマスプレゼントがなかった(実際にはありましたが、後程お話しします)事です。

沢山のクリスマスプレゼントを貰って嬉しそうなホストキッズ

私がプエルトリコから帰ってきた晩にクリスマスツリーの飾り付けをしました。
クリスマスが近づくに連れて沢山のクリスマスプレゼントがツリーの下に置かれてるのをみていたのですが、私だけの名前がなく残念な気持ちに。
12月24日と25日どちらも仕事だったので、チラッとプレゼントを確認しましたがやはり私だけの名前はなくめっちゃ凹みました…25日の昼頃、ホストマザーが「みんなでプレゼント開けるからゆいも参加していいのよ!」と誘ってくれましたが正直行きたくありませんでした。自分だけプレゼントがないのに誰が喜んで行くんだろう?と思うのが当然ですよね。
ホストファザーの元妻との高校生、大学生の3人の子ども達が来宅していたのでとても楽しそうにはしゃいでいました。私も一応仕事だから参加せざるを得なくて、でも悲し顔したらダメだなと思ったので作り笑顔で頑張って乗り越えました。
ホストキッズやホストファミリー達は沢山の豪華なプレゼントを貰って幸せを分かち合っているのを呆然と見守る事しかできなかった自分はとても複雑で今にも泣きそうでした。
ホストファザーは、このファミリー、一人一人へブランド品をプレゼントしていましたが私には何一つなし。「メリークリスマス!」などの挨拶もなく、私はただそこにいる人でした。
幸い、ホストマザーからニット帽を頂きましたが、ショック過ぎて素直に喜べませんでした。後半ら辺に、その子ども達3人からピアスをプレゼンしてもらい思ってもいなかったので、とても嬉しかったです。(彼らには何も用意していなかったので、申し訳ないと思いましたが)私もホストファミリーに気持ち程度のプレゼントを買っていたので本当に複雑な気持ちになりました。

クリスマスツリーの装飾

ホストファザーは当初から私(本当の家族以外の他人)の存在を無視、挨拶なしの無関心なタイプの人間だったので「こうなるだろうな」という勘は的中でした(苦笑)
クリスマスディナーも正直残念で、レバノンレストランからテイクアウトしたチキンオーバーライス、スープそしてチョコムースケーキのみでした。
ゲストもホストファザーが招待した同僚とそのパートナーだけで何とも複雑で気まずい訳の分からないクリスマスになりました。
会話も仕事(外科医)の話だけで、自分がどう頑張って会話の中に入ろうとしても無理がありました。クリスマスらしい楽しく温かい会話がなかったので、私は淡々とそのご飯を食べて「ありがとう!」を言って部屋へ戻りました。こんなに孤独感を味わった悲しいクリスマスは初めてです。
一人暮らしが長かったので、一人でクリスマスを過ごす事には慣れていたのですが日本と違う所は西洋ではファミリーと過ごすという点です。
どんなに仲良くなった友達やパートナーでも、クリスマスはファミリーと過ごすから別々に過ごすそうです。周りのオペア友達から「クリスマスどうだった?」と聞かれたり、「私は沢山プレゼント貰ったよ!このファミリー大好き!」と言われる度に胸が苦しくなって何度も泣きそうになりました。
もう終わった事なのでクヨクヨしていられませんので、来年度はもっと良いファミリーとマッチできるように頑張ります!!

 

オンラインのスペイン語クラスも無事に終了!みんなでメキシカンレストランにきてスペイン語でオーダーしたよ!

そして、年末年始ですが12/28から1/2までファミリーが休暇を取っていたので私はタイムズスクエアで年越しをする事に決めました。
タイムズスクエアで年越しをするのがバケットリストにあったのと、1年目はアメリカの東側に住んでいて行きやすいからという理由から決めました。
結果からお伝えすると、これもまた残念な思い出となりましたがある意味良い思い出です(笑)
30日だけニューヨークのホステルに滞在し、1日の午前中のフライトでピッツバーグに帰ってくるという作戦です。(2日以降になると飛行機代とホステル代がもっと高くなるのが理由です)

30日は、ショッピングしたり食事を楽しみました。
アメリカで話題の「つるとんたん」を堪能しました。明太子うどん、豚カツ、ドリンクで$57(泣笑)しました!!!クレイジーな値段ですが、クリスマスも年末も自分へのご褒美が何もなかったので腹を括って支払いしました(笑)
その後は、ウィンドーショッピングを楽しんでからホステルをチェックインしました。
丁度21:30から無料のバーツアーが開催されるとの事だったので参加しました。
思ったより沢山の大人達が集まりみんなで電車に乗ってバーへ到着。
23:30までみんなでワイワイ飲んで歌って踊って楽しみました!
31日は朝からタイムズスクエアへスタンバイする予定だったので、長居したい気持ちを抑えてホステルへ戻り就寝。
31日は、朝8:30に起床しシャワーを浴びて準備万端チェックアウト!
電車を間違えてしまい約1時間のロス(泣)荷物を預けて、長蛇の列を見つけて並び始めたのは13時頃です。4時間待って2ブロック進む程度で先が見えない不安と戦うだけです…

18時頃、ようやく超超長蛇の列から解放されたもののタイムズスクエアの中へは入る事ができませんでした。朝の時点でタイムズスクエアは縦20ブロック程、横3ブロック程の長方形型に閉鎖されていたので簡単に入る事はできません。
人の流れと共にダッシュして次に入れそうな入り口を見つけたのは19時過ぎ。
人一人分の入り口から一人一人通り抜けて荷物検査をするシステムなので、進むのがとても遅い上にこの先に何が起こっているのかわからない状態です。
息ができなくなったり、押しつぶされて転びそうになり、ソウル梨泰院の事件が脳内を横切りました。
ぎゅうぎゅうに押しつぶされながら20-30分耐えるとようやく私の番です。
20時過ぎにようやく解放されましたが、アーティストのパフォーマンスは既に始まっていましたが、少しルンルンな気持ちで行ける所まで駆け足で向かいました。
少し進むと、人集りで行き止まりになったのでそこでカウントダウンをする事に。
友達も合流する予定でしたが、連絡が来なくなったり、来れなくなったとの事だったので結局一人…(笑)1分前になり、大勢の人達に混ざって心の中でカウントダウンをしました。

0時を超えると「ハッピーニューイヤー!」と叫ぶ人や恋人とキスをする人達や、急いでこの場から立ち去る人もいました。
結局カウントダウンが終わった後でもタイムズスクエアの中入る事ができなかったので、私は流れに乗って写真や動画をさっと取りこの場から去りました。あっけなく終わったカウントダウンは私をまた少し孤独な気持ちにさせましたが、少なくとも私はやってみたい事へ挑みました。どう思おうと結果的にそれで良かったのです。

Happy New Year 2024!!

午前2時過ぎにリュックを受け取り、ペンステーションで電車に乗り空港に到着しました。1日中食べていなかったのと寝不足で、冷たく固いベンチで10時頃まで爆睡しました。12時のフライトだったので、急いでゲートへ向かい無事に飛行機へ乗り、ピッツバーグへ帰ってきました。

2023年は本当に山あり谷ありで正直、毎日が楽しかったとは言えません。毎日悩みながら試行錯誤で挑戦しては失敗して学んで来ました。
でも、素敵な出会いがあったり、自分自身がこんなに色んな事に挑戦できるのだと新しい一面を発見できた1年でもありました。

2024年5月からは今のホストファミリーとお別れをして、新しいファミリーとまた新しい1年をスタートする予定です。どうかもっと良いファミリーとご縁がありますように!!2023年も多くのサポートをありがとうございました。
2024年もよろしくお願いいたします!

12月一番のお気に入り写真!